薄明宮の奪還 更新日:2005.05.03

第2部 アドニア〜リムウル
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 第1章 /旅路
5.レスターの出立

 時は少しさかのぼって、アイリーンが城を出た夜の、次の朝。

 御前会議は紛糾を極めていた。誰もが頭を抱えたり、わめいたりしていた。無理もない。災厄としか言いようがなかった。
 第二王子の后にと望まれた姫が魔女で殺人犯だったなどと、どう隣国に説明したらいいのだ。 しかも捕まえておいたはずが、魔法を使って兵を眠らせ、牢を破って逃げてしまった。 すぐさま討伐隊を出すべきだと言う者、いやこのままいなくなってくれればそれでよいではないか、様子を見ようと言う者、隣国への使いはどうするのだと言う者……様々だった。

 その喧噪を前に、静かにしているのは二人だけだった。王は疲れと悲しみのにじんだ目を伏せ、黙り込んでいる。そして、末席近くの目立たない席で、レスターは腕を組んでうつむき、目を閉じていた。
「……ですな。レスター様は、どう思われますか?」
隣に座ったケストレル将軍が話を振った。
「……?」
レスターが何の反応も見せないことをいぶかしみ、老将軍が顔を寄せる。
「レスター様? ……レスター様!」
彼はあわてた様子で声をひそめ、レスターの膝に手を置いて揺さぶった。
「うん?……ああ……」
レスターは薄目を開いて彼をチラリと見るとすぐにまた目を閉じた。
「眠いんだよ、ほっといてくれ。……近頃の姫君はタフでね……」
将軍はあきれて二の句が継げない、という顔をした。城内で存分に浮き名を流しているレスターのこと、どういう事情かは想像がつく、とばかりに。

 ところが……ついに、いたずらに続けても何も決まらないと一旦会議を終わらせることになると、レスターはパッと立ち上がり、忙しそうに真っ先に出て行った。隣の将軍がますますあきれているのにも、おかまいなしだった。
「さぁ、これで義理も果たした。カモフラージュにもなるだろう……」
渡り廊下で足早に歩を進めつつ、一人、つぶやいた時。

 「レスター様!」
背中から声をかけられ、レスターは足を止めた。
一陣の風が吹き過ぎ、彼の緑のマントの端をはためかせる。その風の行く末を確かめるように、レスターは少し目を細め、中庭に咲く花がハラハラと花びらを散らせるのを眺めて一呼吸置いた。
 長年慣れ親しんだ声だ。顔を見るまでもなく、誰かはわかっている。レスターがちょっとした使いを頼んだので昨日から別の街へ出かけていた、彼の一の従者ウィリアムだった。いや、元、一の従者と言うべきだろう。
 レスターは笑みを浮かべて振り向いた。城中の女性を骨抜きにするほどの魅力を湛えたその華やかな笑顔も、この相手にはまるで効果がなく、今はただわざとらしく見えることは承知の上だった。
「……やぁ、ウィル。早かったね、もうアストリアから帰ってきたの?」
「レスター様! 私は納得できません、どうしてあなた様の従者の任を解かれてカイウス様付きになど……! 私が何かお気に障ることでもしましたか? おっしゃってください!」
「ああ、ごめん。そういうわけじゃないんだ……」レスターは困ったように言った。
「兄上はかねてから国一番の剣士であるお前をほしがってたんだよ」
「そんなことはわかってます! それに今始まったことじゃないでしょう! 私が聞いているのは、なぜ、あなたがそれを受諾したか、ということです!」
 普段、常に冷静・沈着なこの男が、めったに見せない激しい怒りと動揺を隠そうともしないその姿に、レスターは鮮やかなブルーグリーンの瞳をわずかに曇らせた。
「……わかった。きちんと話すよ。こんなところで立ち話できることじゃない、ぼくの部屋へ行こう」ウィリアムの先に立って歩き出しながら、レスターは一人、口元に苦笑を浮かべていた。
“従者を持つような身分じゃなくなる予定だった、とは今この状況では口が裂けても言えないな……”

 一刻の後。ブルーグリーンの瞳を、鳶色の瞳がまっすぐ見据えていた。
「……ごまかされませんよ。アイリーン様を助けるだけが目的なら、二人揃って姿を消すなんて下の下の策です。それがわからないようなあなたではないでしょう? 一旦、城下の適当な家にアイリーン様をかくまって、数週間か数ヶ月後に、騒ぎが落ち着いてから出発された方が何倍も逃げやすいし、あなた様へ疑いの目が向けられることもない。それなのに、わざわざそんなリスクの高い逃避行に踏み込もうなどと……これを機に、本気で、身分を捨てるおつもりだったのですね?」
“おおっと……!”
内心、天を仰ぎたい気分だったがそれを押さえ、レスターは晴れやかに笑ってみせる。
「……そんなことはないよ。……まぁ、そうなってもいいな、とは思ってたけどね」
「レスター様っ!!」
怒りの形相を浮かべ、ウィリアムはテーブルを叩いて立ち上がった。睨みつけてくる視線に押されるように、レスターは椅子の背もたれに身をあずけ、顔を背けてため息をついた。
「……お前には、かなわないな……」
「当たり前です! 何年あなたの従者をやっていると思ってるんですか。どうもおかしいと思ったから、急いで帰ってきたんです。許しませんよ、私は納得できません!」
レスターは額に手をやって大仰に天を仰ぎ、もう一度ため息をついた。
「……もっと遠くに追い払っておくんだった……。父上のアイリーンへの愛情と、ぼくへの買いかぶりが誤算だったな……でもぼくは行くつもりだよ」
案外に強い彼の言葉に、ウィリアムは目を見開いた。
「レスター様! なぜあなた様がそうする必要があるのです、カイウス様のことなら……」
「しっ!……そうじゃないよ。わかってくれないかな? ぼくの心からの望みなんだ」
「だったらよけいに反対です! 私の今までの苦労は何だったんです、あなた様の乳兄弟として、あなた様をもり立てるべく必死で、私は……!!」
レスターは苦いものを飲み込んだような顔つきで彼の激した顔を眺めた。
「……この際、ハッキリ言うけどね、お前のそういうところが、ぼくを駆り立てたんだよ。ぼくにそんな気はさらさらない。この平和なアドニアに、わざわざ争いのタネを蒔かなくてもいいじゃないか?」
ウィリアムはショックを受けた様子で、口をつぐんだ。うなだれ、気をそがれた声で言う。
「……皆、あなた様を慕って……望んでいるのです。なぜいけないのです?」
「皆、じゃないだろう」レスターは苦笑する。
「あなた様にはその器があります! どうしてわかってくださらないのですか……?!」
「……埒があかないな。ぼくは行くよ。ぼくはね、この世で自分がするべきことを見つけたんだ。それはお前たちの望んでいるものとは違う」
「レスター様……!」

 ウィリアムが絶句した、ちょどその時、部屋を激しくノックする音が響いた。
返事も待たずにドアが開き、入ってきたのは、何とアドニア王だった。
「レスター!」
取り乱した様子に、ただならぬものを感じたレスターが腰を浮かせる。
「父上、いかがされました?」
「エリアードが……」
レスターの表情がさらに引き締まった。
「アイリーンに何かあったんですね?!」
「昨夜のエリアードは、偽物だった……信じられないことだが、そうとしか……、今さっき自分の部屋で倒れているエリアードが見つかった。彼が言うには、昨夜食事を終えて部屋に帰ったとたん何者かに襲われたと……」
「なん……ですって?」
長年従者として仕えてきたウィリアムでさえ、レスターがこれほど青ざめたところを見たことがない。
アドニア王は、まるで熱に浮かされたように、言いつのった。
「し、しかし……! あれは確かにエリアードだった、あれほどよく似た人間など……」
王の言葉をレスターは聞いていなかった。しばし、自分自身の考えを追い、そしてつぶやいた。
「……しまった!……何てことだ、信じられない……」
レスターは激しい勢いで席を立ち、部屋を出て行こうとした。
「レスター様!」
「レスター!!」
かけられた声に、戸口の一歩手前で彼は立ち止まり、王を振り返った。厳しくひそめた眉に、もはや一歩も引く気はないという決意がにじんでいた。
「昨夜は引き下がりましたがね、父上。本当のところ、ぼくはすぐ後を追うつもりだったんです。そのために、昨夜あれから、軍の方には少しばかり手回しをしておきました。後はぼくがいなくたって大丈夫です。だいたい、ぼく一人いるかいないかでどうにかなってしまうような軍隊なら、それこそぼくがいようがいまいがどうせダメになるときはなりますよ。立派な将軍が何人もいるんだ。ぼくのできることなど微々たるもの、父上は少し気弱になっておられるだけです。……大丈夫、兄上なら、立派に軍をまとめられますよ、信じて任せればよいのです」
 そこまで一気にまくし立てると、ふいに気遣わしげな表情になったレスターは、立ちつくす父の元へととって返した。父の手を取り、いたわるように自分の手の中に包み込む。
「父上……お許し下さい。長の別れとなるやも知れません。御身、くれぐれもご自愛くださいますよう……!」一瞬の抱擁の後、レスターは足早に出て行った。
あわてて、王に一礼すると、ウィリアムも後に続く。

 帰ってきて旅仕度も解かずレスターに詰め寄ったのだが、それが幸いした……ウィリアムはそう思った。出発するレスターに、無理矢理ついて来たのだ。ぐずぐずしていれば、すっかり仕度を済ませていたレスターに置いて行かれたことは確実だった。
 城の最も外側の壁をくぐり、堀に渡された橋の上にさしかかったとき。
「ウィリアム、ついてくるな」
それまで一言も発しなかったレスターが、前を向いたまま顔も向けずに言った。
「……」
「……邪魔だと言っている」言葉も、口調も辛辣だった。
しかしウィリアムは何とかしようと口を開いた。
「エリアードが偽物なら、どこへ向かったかわからないでしょう。手がかりを探るのに、人手がお入り用のはず。……お手伝いをさせてください」
「帰れ」
「……」
とりつく島がない。いつもひょうひょうとして誰にでも機嫌良く振る舞い、長年連れ添った従者である自分にさえ笑顔を絶やさないこの主人の、これほど冷淡な態度は初めてだった。心配と焦燥で神経を尖らせているからに違いなかったが、それだけではなく、本当に自分はもう必要とされていないのか……。ウィリアムは泣きたい気持ちになりながらも、一縷の希望にかけて黙々と後をついていった。


 半日ほど無言のまま進んだ。日が傾き出すと、レスターは街道をそれ、森の中に続く路へと馬を乗り入れた。そして小川に行き当たると、馬を降りて野営のしたくを始めた。ウィリアムが黙ってがかいがいしく手伝うのを、レスターは仕方なさそうに見ていた。
 たき火が燃え出し、その前に座ったレスターは、やがてため息をついて言った。
「ウィリアム、……なんでついてくるんだ? ぼくはもう、お前の望みをかなえることはできないんだよ」
「……それでも、……私は、あなた様にお仕えしたいのです」
「もうそんな身分じゃなくなったと言ってるじゃないか」
「いいえ! もう、よろしいのです。たとえあなたが王子の身分を放棄し諸国をさまよう道を歩まれるとしても……私は、おそばでお仕えさせていただきたく思います。……あなた様のお気持ちも考えず出過ぎた望みを持ったこと、この通りお詫び致しますから、どうかお願いです、お供をお許しください……!」ウィリアムは沈痛な面持ちで頭を下げた。

 言葉にしてみて初めて、彼は自分自身の、主人に対する純粋な思いを軽い驚きと共に悟っていた。今となっては些細なことばかりと思える様々な城内の事情が、その思いを見えにくくし、彼を余計な方向へと走らせてしまったようだった。女性に関する派手な醜聞を除けば、レスターは理想的な主人と言えた。恵まれた容姿や高貴な身分を、ありのままに受け入れ時には目的のために利用する抜け目なさはあっても、決して鼻にかけることはない気さくさと大らかさを持ったこの主人を、彼は心から誇りに思い敬愛していたのだ。

「あなた様はエディス様の事件以来、ろくに眠っておられない、一人旅など危険です。……心配なのです」
「……」
レスターはまたため息をつき、額にかかる金の髪をかき上げながら横を向いた。
「弱ったね、全く……男に好かれても嬉しくないんだけど」
ようやくいつもの軽口が出たと知ってウィリアムはホッとし、顔を上げた。
レスターは横を向いたまま、何とも言えない表情を浮かべている。困ったように眉をひそめているが、口元には柔らかい笑みが浮かんでいた。

 穏やかな瞳がこちらを向いたとき、それが照れ笑いだとやっと気づいたウィリアムは感動とも言えるものを味わっていた。改めて、その瞳の希有な色と同じく、これほどの主君はまたといない、この方に仕えることは自分にとって至上の喜びだとウィリアムは思った。

 レスターは立ち上がり、馬はそのままにしてぶらぶらと森の中へと歩いていく。後を追っていくと、急に目の前が開けて、高い崖の上へ出た。沈み行く太陽の最後の名残の光が、赤く空を染め上げていた。その空を見つめ、背中を向けたまま、レスターは言った。
「……さっきのは嘘だよ。お前の気持ちは嬉しいし、ぼくみたいなワガママで手に負えない主人によく仕えてきてくれたと感謝もしている。それに主従の関係を抜きにしても、ぼくは乳兄弟として、また同世代の友人として、お前に愛情も感じている。だから……」
レスターは振り向き、にこにこしながら両手を広げたかと思うと、ウィリアムに抱きついた。
「……レスター様……?」
「……すまない」
 耳元で声を聞いた瞬間、ウィリアムの体に衝撃が走った。当て身を食らわせて気絶させた彼の体を、レスターはそっと地面に横たえた。ブルーグリーンの瞳が、少し憂いを帯びて彼を見下ろす。
「だから、お前にまで、アイリーンのために命をかけさせるわけにはいかないんだ……許してくれ」
それから立ち上がると、崖のそばへ寄り、目を細めて眼下に続く景色を遠く望み見た。
「さて、と。……行く先は……エンドルーア、だな」
そこには、急速に闇に包まれていく世界が、濁った残光の下に延々と横たわっていた。

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