薄明宮の奪還 更新日:2005.01.10

第1部 アドニア
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 第3章 /殺戮
2.幻獣の夜

 いったい、どうしてこんなことになってしまったのか……。
アイリーンは思う。 何もかも、全くわからない。ギメリックは望み通り石を奪っていったはずだ。それだけでは飽きたらず、アイリーンの命まで奪おうとしたのか、それとも……?

 あの夜……。気がつくともう夜が明けかけており、アイリーンは寝室の床の上に倒れていた。急いで居間に確かめに行くと、やはり石は無くなっていた。
  アイリーンは暖炉の灰の一番下に石を埋め、その上に薪を積んで火を点けておいたのだ。薪はアイリーンが積んだままの形で灰になっており、一見、手を触れられた痕跡はなかった。にもかかわらず、灰の下から、石は見つからなかった。アイリーンは絶望で足下が崩れていくような気がした。
“どうしよう……どうしよう……”
混乱から覚めやらぬ心で考えを巡らそうとしていたその時、寝室の方で微かな物音がした。アイリーンはハッとして顔を上げ、恐る恐る、戸口から寝室をのぞき……恐怖に凍りついた。

 大きな、真っ黒な塊と見える姿が、ベッドの天蓋の下をうかがっていた。
幅も高さも大人の2倍をはるかに超える、異常な大きさだった。が、何よりも、それから流れ出てくる、この世ならざる者の異様な気配がアイリーンの心臓を鷲づかみにし、縮み上がらせた。冷たい恐怖が戦慄となって背中を走り抜ける。
 彼女が息をのむその微かな空気の流れを察知したかのように、怪物は顔らしきものを上げた。2度目の恐怖の波がアイリーンを打ちのめした。
 真っ黒で輪郭も定かでない顔の中に、この世の生を生きる者の目ではない二つの灯火が揺らめいていた。何の感情も映されていない虚ろなその瞳は、ぞっとするほど人間のそれに似ていた。が、だからこそ、その異質さ、おぞましさが身の毛もよだつほどの恐怖を伴って迫ってくる。

 ゾロリ、と巨体を引きずるようにして、怪物が動いた。
“……こっちへ来る! ……私を狙って……?”
アイリーンは後ずさり、控えの間へ通じる扉に向かって走った。
扉を開けて走り出たとたん、誰かにぶつかって危うく倒れそうになる。
「痛っ!!」ぶつかった相手は見事に床に転び、声を上げた。
「お姉様?!」エディスはしかめっ面をしてアイリーンを見上げた。
「……なんで急に出てくるのよっ?!」
「そ、そんなことより、……逃げてっ…」大声で叫びたいのに、声が震えて息が漏れるような音しか出せない。エディスは怪訝そうにきょとんとしているばかりだ。
「早く!!」アイリーンは彼女の手を引っ張って立たせようとした。
エディスはその手を振り払うと自分で立ち上がった。
「別に私は、あなたのこと気にして見に来たわけじゃ……」
ふいに口をつぐんだエディスは、目を見開いて扉の奥を見た。
 怪物は居間の中程までやってきていた。巨大な黒いナメクジのように頭をもたげ、ゾロリ、ゾロリと、巨体の割には微かな擦れるような音を立てながらこちらへ進んでくる。
「……ひっ…!!……きゃぁぁぁぁっっ!!」
エディスが喉も引き裂けるかと思うような悲鳴を上げた 。

 そのとたん、怪物の体がバッと飛び散ったように見えた。
巨体の上部が一瞬にして枝分かれして触手になり、飛びかかってきたのだ。
何本もの触手がアイリーンとエディスに絡みついた。
ぐんにゃりとしたその感触に悪寒が走る。
「いやぁぁぁっっ!!」
なすすべもなく床に引き倒され、二人はズルズルと怪物に引き寄せられた。
アイリーンは必死になってソファの足にしがみつく。
「やっ……いやっ!!……助けてっ!!」パニックに陥ったエディスが泣き叫んでいる。
怪物の腹の辺りがぐわっと裂けたかと思うとそこには、ギラギラした鋭い歯がずらりと並んでいた。
「お姉様っ!!」アイリーンが悲鳴を上げた。
今にもエディスの体が怪物の牙に届きそうだ。
アイリーンはソファをつかんでいた手を離し、エディスに抱きついた。
“もうダメ! 食べられるっ…”アイリーンは固く目を閉じた。

  怪物の牙がアイリーンの背に食い込もうとしたその瞬間。
彼女の体から目もくらむような光がほとばしった。
「グワッ…!!」怪物が吠えて後ずさる。
アイリーンの体に巻き付いていた触手が溶けるように消えてなくなった。
しかしエディスの方はそうはいかず、大きく振り回された触手の先に絡み取られたままその体が宙に浮く。しがみついていたアイリーンの体も引きずられたが、何が何だかわからないうちに壁にたたきつけられ、床に崩れ落ちた。強打のショックにかすんだ彼女の目の前で、怪物の触手がエディスの首を引きちぎった。
恐ろしいほどの勢いで血が吹き上がる。
生暖かい血しぶきがアイリーンの頬にも飛び散った。
「……っっ!!」
アイリーンは驚愕に目を見開き、声にならない悲鳴を上げた。
まるでスローモーションのように、エディスの首が落ちてきて床に転がる。
アイリーンはこみ上げてくる吐き気を押さえて口元を手で覆った。
あふれ出た涙が、血で汚れた頬を二筋の流れとなって洗ってゆく。
座り込んだまま動けないアイリーンに、怪物が近づいてきた。
「グゥルルル……」怪物がうなり声をあげ、探るように触手を伸ばしてくる。
「いやっっ!!」 アイリーンに届く寸前、触手は砕け散った。
彼女は立ち上がった。怪物を睨みつける。
恐怖よりも怒りに囚われていた。
「ガァッ!!」恐ろしい口を大きく開いて、怪物が一気に襲いかかってくる。
アイリーンはまるで戦慄の震えのように体に満ちてくる“力”を、解き放った。
刹那、彼女の体から強烈な光が吹き上がる。
目を開けていられないほどの閃光が走り抜け、部屋全体の空気が真っ白に光り輝いた。
「ギャァァァァッッ!!」恐ろしい断末魔の叫び声が響く。
光がおさまったときには、怪物は跡形もなく消えていた。
 アイリーンは精も根も尽き果て、その場に倒れた。
気を失う寸前、アイリーンは見たような気がした。自分を見下ろす冷たい顔……獣のような黄色い瞳をしたあの男、ギメリックの顔を。

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