薄明宮の奪還 更新日:2005.01.05

第1部 アドニア
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 第3章 /殺戮
1.冤罪

コツ、コツ、コツ、……
 階段を上ってくる足音に、少々ゆるみ気味だった緊張感を取り戻し、牢番はしゃんと背筋を伸ばして足音の主を待ちかまえた。そろそろ真夜中になろうかというこんな時間に、罪人が裁きの場に引き出されることも、公的な面会人が来ることも、あり得ない。
 ただ、この、塔の上の牢獄は地下牢と違って、罪人と言っても元は身分の高い者が収容される場所だ。お忍びで面会に来る者も、当然、それなりの身分の者と決まっていたから、面会は暗黙の了解で見て見ぬふりをされることが多かった。
 しかし、と、牢番は首をかしげる。今、ここに入っている者に会いに来る者など、いるのだろうか……? 恐ろしい、尋常ならざる力を使う魔女に……。自分だって役目でなければ、こんな近くで夜を過ごすのはごめんこうむりたいと思う。実際、初めの数時間はびくびくものだった。

 牢番がそんなことを考えている間に、足音はついに最上階までやってきた。その主の姿を見て牢番はあわてて、最敬礼をした。彼のような低い階級の兵士でも見間違うはずがない、それは、国民…特に女性…の間で絶大な人気を誇る、第二王子のレスターだった。
「ご苦労様。ちょっと入らせてもらうよ。鍵は下の鍵番にもらってきた」
気さくに声をかけて、レスターは牢の扉に向かう。
こんな所には全く不釣り合いな、最高級の生地と仕立ての衣装に包まれた、すらりと長身のきらびやかなその姿に、まだ年若い牢番の兵士は頭に血が上るほどの緊張を覚えていた。
「はっ!」最敬礼のまま、牢番は答えた。
「……あ」思い出したように、レスターは立ち止まって彼の横に立った。
「すまないけど、席を外しててもらえるかな? これで一杯飲んで来るなりして、ね?」 無邪気な、と形容したくなるような、曇りない笑顔を向けて彼は牢番の手に銀貨を一つ握らせた。
「……し、しかし私は……」
間近で見る美しい顔にますます緊張を募らせながら、牢番は口ごもった。
「君に迷惑をかけるようなことは絶対しないよ。交代の時間はいつ?」
「あ、明け方までが私の任務ですが……」
「それじゃ交代の少し前に帰ってくるといい。それまで、ぼくが代わりにここにいるから」
「そ、そ、そんなことはっ」あまりの恐れ多さに目がくらむ思いで、牢番は叫んだ。
「いいから!……頼むよ。どうせ、長引くと思うんだ」
微かな焦燥を含むその声の響きに抗いがたいものを感じて、牢番は引き下がった。
「はぁ……わかりました。しかし、これは受け取れません」
牢番は銀貨をレスターの手に押し戻すと再度、最敬礼をして、階段を下りて行った。
「へぇ……我が国もまだまだ、捨てたもんじゃないね」
どこか人ごとのように、それでも嬉しげにレスターはつぶやいた。

 小さな部屋に粗末なベッドがしつらえてあり、囚人はぐっすり眠っているようだった。レスターは彼女の寝顔を見下ろした。
 まだ16になったばかり、少女と言っていい年齢だ。一週間前はあどけなさの残る丸みを帯びた頬をしていたのに、この2日で、さらに痩せた。恐怖と不安で憔悴している……当然だろう。痛ましげに見やり、できることなら起こしたくなかったが、そっと肩に手を置いてゆすった。
ハッとして飛び起き、おびえたように後ろへ下がる。
「アイリーン、ぼくだよ。レスターだ」
部屋の中は暗いが、格子の向こうに掲げられた松明の明かりが、彼の整った顔の片側を照らし出していた。
「……お兄様……」
明らかにほっとした様子に、レスターは目を和ませた。
「ごめんよ、もっと早く来られたら良かったんだけど。不安だったろう?」
「……」
アイリーンはうつむいた。けなげにも、涙をこらえているのだろう。
「お、お兄様は、怖くないの? ……私が……お姉様を殺したと、みんな思ってるのに……」
「君にそんなことできるはずないだろう!」
レスターは強く言った。
「みな、恐怖でまともな判断ができなくなってるんだ。……何があったか話してくれるね?」
アイリーンは首を振った。
「みんなに言ったとおりよ……本当に、それ以上のことは、私には何も……」
「エディスが殺された時のことじゃない、それより前のこともだよ」
アイリーンはハッとしてレスターの顔を見上げた。
彼のブルーグリーンの瞳が、鋭い光をたたえて真剣に見返してくる。
「あんなに嫌いだった宴に出てきたり、君、明らかに様子がおかしかった。今回のことと、無関係じゃないだろう?」
アイリーンは肩を落としてうつむいた。その肩が震えている。
「……ダメ……言えません」
「アイリーン!! このままでは、君はエディス殺しの犯人として処刑されてしまう!!」
「……」
アイリーンの体の震えが激しくなる。
思わず、レスターは隣に座ってその華奢な肩を抱き寄せた。
「大丈夫、ぼくが必ず何とかする!! ……だから気を確かに持って。でも、どんな理由があるか知らないけど、話してくれないことには対処のしようがない」
 アイリーンは弱々しく彼の抱擁を振り払おうとした。それは彼女の心の葛藤そのままだった。今となっては本当に、この兄がたった一人の自分の味方と思えたが、だからこそ、事件が恐ろしい展開を見せたこの状況に、彼を巻き込みたくはなかった。しかし彼女の精神力は限界に近かった。すがれるものなら、彼の手にすがりたい、それも真実の気持ちだった。

レスターはアイリーンの抵抗をやすやすと制し、さらに強く抱きしめた。
「アイリーン!!」
懇願するように、彼女を揺すぶって叫ぶ。
彼女はあえぐように、小さな声で言った。
「……ダメ……もしお兄様まで殺されてしまったら、私……」
涙で声が続かなかった。
レスターはようやくアイリーンの真意を理解し、安堵のため息を吐いた。
「……馬鹿だね。アイリーン、ぼくは君に借りがあると言ったろう?」 静かな声だった。

 レスターは彼女の肩に手を置いて、涙に濡れた菫の瞳をのぞき込んだ。
「いい? よく聞いて。ぼくはね、君に命を助けられたんだ。……ずっと夢だと思っていた。いや、夢だと思いたかったのかも知れない。……潜在意識の中で、夢だったということにして、それですっかり忘れていた。あの宴の夜、君を見かけるまではね……」
「……」
怪訝そうな彼女の顔に、レスターは微笑んだ。
「子供の頃の話だよ。君は3つ、ぼくが7歳頃のことだ。ぼくは当時からあまのじゃくで、大人たちの言うことに逆らってばかりいた。一人で城の外に出てはいけないと言われていたのに、しょちゅう隠れて遊びに行っていた。そしてその日も従者をまいて一人で出かけて、……池に落ちたんだ」
レスターは情けなさそうに苦笑いして、額にかかる金の髪をかき上げた。
「もうついでだから白状するけどね、ぼくは今でも水が怖くて仕方がない。その時のトラウマだよ。……追いついてきた従者に助け上げられたときには、呼吸も心臓も止まっていた」
「……それを、私が助けた? そんな、そんなこと、私……」
「誰も知らない。君も、忘れてる。でもぼくだけは、忘れちゃいけなかったんだ……それなのに」
優しく、レスターはアイリーンの、闇の中でも淡く輝く陽光のような、やわらかな髪をなでつけた。
「……君は知らないんだね。皆が君を恐れるのは、君がエンドルーア王家の血を引いているからだよ。エンドルーアの王族は、神々の聖なる血とともにその魔力をも脈々と受け継いできたと、伝えられている。それが本当かどうか、確かなことは他の国の者は知らされていないけれど……あながち迷信とも言えないような、不思議なことが色々報告されているから、わが国の最高機密としては、それは真実とされているんだ」
アイリーンは驚きに声も出せずレスターの顔を見つめた。

「で、池に落ちたぼくは、気がつくと真っ暗な、右も左もわからない何もない空間に一人漂っていた。……そうとしか言いようがない。足の下には地面らしきものも無かったし。時間の感覚もなくて、後から考えるとそれほど長いはずはないんだけれど、ぼくとしては何日もそこにいたような気がする……。歩こうとしてもフワフワした感覚があるばかりで、真っ暗で何も見えないし、本当に心細くて、どうすればいいかわからなかった。そこに、遠くから、小さな光が近づいて来るのが見えた。……そう、君だよ。暗闇の中、君の体からは、ほっとするような暖かな光がさしていた。君はそばまで来て言った。
『兄さま。みんな泣いてるの。帰ってきて』
『ぼくだって帰りたいよ。だけど、帰り方がわからないんだ』とぼくが言うと、
『……こっち』そう言って君は小さな手で、ぼくの手をつかんで引っ張った。するとそれまでフワフワ漂っていただけのぼくの体がしっかりするのがわかった。
そうして、ぼくたちは何だかわからないものの上を踏みしめて、帰ってきた。ぼくは見たよ、ベッドに寝かされているぼく自身を。父上も母上も泣いていた……。
『母さまはご病気だったから、ダメだったけど……兄さまは大丈夫』君はそう言った。たぶん母上を亡くして間もなかったんだろう。君がぼくの手を離してトン、と後ろから押したと思ったら、次の瞬間、ものすごく苦しくて咳き込んでいた。周りのみんなはびっくりしていたな」
信じられない話だった。レスター自身が夢だと思ったのも仕方がない。しかし今では、彼は夢ではないと確信を持っているようだった。
「……その後、君と会ったとき、特に君は普段と変わらなかった。だからあれは夢だったと思った。でも、たとえ夢の中のことにせよ、……その……小さな妹に泣き顔を見られたと思うと、恥ずかしいやら悔しいやらでね……それで君を追いかけ回してたんだが、そのうち理由も忘れてしまって」
レスターは、すまなそうに笑っていた。
「命の恩人に、長い間、ずいぶんひどいことをしたもんだ。アイリーン、ぼくは君に殺されたって文句は言えない身だよ?……さぁ、わかったかい? ぼくに挽回のチャンスをくれないかな?」

 張りつめていた糸が切れたように、アイリーンは泣き出した。
彼女の震える肩をレスターは再び抱き寄せる。
「……ごめん……もっと早く言えば良かったね。ぼくを巻き込むまいと、だから黙っていたんだろう?」
「……」
しばらくすると 、ようやく落ち着きを取り戻したアイリーンは預けていたレスターの腕から体を起こし、涙を拭いた。
「……誰にも、信じてもらえないと思ったの……」
静かな声に、気丈さが戻ってきていた。
「エンドルーアの魔力のこと?」アイリーンはうなずいた。
「そうだね、正直、ぼくも半信半疑だったんだよ……今まで、ただの迷信だと、この国のほとんどの人間は思っていた。けど、何というか……君を見ていると、みんな不安になるんだと思う」
「不安?」
「そうだよ。君がその大きな目でじっと見つめてくると……何だかね……。だから今回のことも、冷静に考えれば人間業じゃないことぐらいわかるのに、その人間業じゃないことを君ならできるのではないかと、みなが思ってしまっているんだ」
「……」アイリーンはまたも激しく震えだした。
「わ、わからないわ……私、私が……」
「アイリーン?」彼女はうなだれた。
「も、もしかしたら……本当にお姉様を殺したのかも……」
「馬鹿なことを言うんじゃない!!」
「お兄様……」
「もし君にそんな力があるとしても……あんなむごいことができるはずがない。……さあ、今度こそ、話してくれるね?……何もかも」
アイリーンはうなずき、しっかりした声で話し始めた。
そもそもの始め、ティレルとの出会いのことから。

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