薄明宮の奪還 更新日:2004.12.22

第1部 アドニア
<< 前へ 目次 次へ >>
 第2章 /不安
5.来襲

……また一つ、わけのわからないことが増えたわ。
アイリーンはレスターの言い残した言葉をもてあまし、しばらくぼんやりしていた。
けれど、そんな場合ではないことに突然気がついた。
……いけない! 夜明けまでにはまだ時間がある。もしあの男が襲ってきたら……!

アイリーンはベッドから降りて部屋の中を見回した。
今さら宴へは戻れない。とするとこの部屋で朝まで一人……石を何とかしなければ。
アイリーンは居間にとって返し、石を隠した。それからまた、寝室に戻ってベッドに座った。疲れ切っているはずなのに、眠れそうもない。たった5日で、自分の世界は何と変わってしまったことだろう。

エンドルーア……亡き母の故郷。神秘の歴史と伝説に彩られた、美しい北の国。
子供の頃、乳母がよく話してくれたおとぎ話の舞台……。

「アイリーン」
考え込んでいたアイリーンは、ぎょっとして振り返った。そして自分の目を疑った。
窓際に、彼が立っている。
月光を浴び、淡い光を放つ銀の髪。
優しい、青い瞳。

「ティレル……!!」アイリーンは彼に駆け寄った。
「本当に、本当にあなたなの? どうして? まだ、月は満ちていないのに……それにペンダントだって、私、今……」
思わず手を伸ばしたアイリーンは、ハッとして、その手をひっこめた。それから、恐る恐る、また手を伸ばして、そっと彼の腕に触れる。そう、触れることが出来た。彼は実体を伴って現れたのだ。それはアイリーンにとって、初めてのことだった。
「……ああ、ティレル!!」
アイリーンはいきなり、彼の胸に顔を埋めて泣き出した。
「ア、アイリーン……?」
彼はそんなアイリーンに驚いて、とまどっているようだった。初めて会った頃、アイリーンと同じくらいだった彼の背丈はすくすくと伸びて、今やアイリーンとの差は頭一つ分ほどにもなっていた。
「……さあ、もう泣かないで……」
彼はアイリーンの体を優しく引き離し、ソファに座らせた。アイリーンは彼の手を取って両手で包み、自分の頬に押し当てた。目を閉じてつぶやく。
「ああ、こんな日が来るなんて……夢みたい……」
「……」
「私……、私ね、もうあなたに会えないかと思って、怖かったの。黒い髪と黄色い目の、得体の知れない男がやって来て、ペンダントを取ろうとしたのよ……」
ティレルの表情がさっと引き締まった。同時に、アイリーンにあずけていた手を、素早く引っ込める。
「知ってるよ。それでぼくもここへ来たんだ。あの男はぼくが追い払ってあげる。けどそれまで、石をどこか安全な場所へ隠しておかないと。ぼくが預かっておくよ。……石は今どこ?」
アイリーンはとまどいながら、答えた。
「あの男がまた来ると思って……隠したの」
「うん、それじゃここへ持ってきて」
アイリーンは急に体を固くした。涙に濡れた菫の瞳を見開いて、彼を見つめる。
「アイリーン?……どうしたんだい?」
「違う……」アイリーンはさっと彼から離れた。
「あなた、誰……?! あの人じゃないわ!!」
彼はゆっくり立ち上がった。周りの空気が陽炎のように揺らめく。
「ふん、こんなに早くバレるとはな」
霧のようにティレルの姿が消えていき、その下から現れたのは、あの男だった。
「さあ、今度こそ、石を渡してもらおう」

 その時アイリーンの頭の中にある考えがひらめいた。
アイリーンは恐怖に震えながらも、男の目をまっすぐ見つめた。
「私が渡さない限り、あなたは石を手に入れることはできない。……そうでしょう? 最初は交換しようともちかけ、それがだめだとわかると脅して、私に石を渡させようとした。無理やり奪うことが出来ないから、今度だってこんな回りくどい手を使ったんだわ」
「ほう、その頭はただの飾りじゃないらしい。……その通りだよ、お姫様。こうなったら、痛い目に会う前に渡した方が身のためだぞ」
男は薄笑いを浮かべ、一歩、アイリーンに近付いた。アイリーンは思わず後ずさる。 彼女は悟っていた。抵抗しても無駄だ。どんなことをしてでも、この男は石を奪って行くだろう。
“どうせ取られてしまうなら……!!” アイリーンはとっさに頭を巡らせた。
「待って!! 石を渡しても、いいわ」
男は猫科の猛獣のような目を細めて彼女を見た。
「本当よ。彼のことを教えて。そしたら、渡してもいいわ」
「……取引と言うわけか」
男は何か考え込むように、腕を組んだ。アイリーンを見つめる目に、奇妙な表情が浮かぶ。相反する2つの心の葛藤とも、過去の苦い記憶とも思える苦しみの影のようなもの。

「……いいだろう。何が知りたい?」
「彼は誰なの? 彼も、エンドルーアの王族の一人なの?」
「……そうさ。奴は現エンドルーア王の息子だ」
「それじゃ、……あなたの弟? あなたはギメリック、エンドルーアの第一王子でしょう?」
「……」男の口元が歪み、笑いを形作った。しかしその目は笑っていない。
「ああ、そうだとも。俺の名はギメリック」
"冷酷で残忍、刃向かう村や都市を情け容赦なく…… " 兄の言葉が脳裏に浮かぶ。恐怖でくじけそうになる気力を奮い立たせ、アイリーンはさらに尋ねた。
「……あの石は何? なぜ、石を欲しがるの?」
「あれはもともとエンドルーア王家に代々伝わる、秘められた力の泉。フレイヤの涙と呼ばれる宝石だ。俺こそがその石の正当な持ち主なんだ」
「……それがなぜ、私のところに?」
ギメリックの目に突然、激しい怒りの炎が燃え上がった。
「知ったことか! 俺が聞きたいくらいだ! 俺はその石をもう何年も探していたんだ、やっと見つけた、さあ石をよこせっ!」
ギメリックの剣幕に思わず、さらに後ずさりながら、それでもアイリーンは食い下がった。
「待って、力って何? あなたのその不思議な力と関係があるの?」
「石を手放せばお前には関係ないことだ。もういいだろう、石を渡せ!!」
「だめよ。ちゃんと教えてくれなくちゃ」
「……俺を怒らせない方が身のためだぞ」トパーズの瞳が冷たく光る。
アイリーンは脅えを隠そうと、キッと頭を上げて、彼を睨みつけた。だが小刻みに体が震えてくるのをどうすることもできない。せめて声は震えませんように……。
「石の隠し場所がわからなくても、いいの?」
ギメリックは喉の奥で笑い声を立てた。
「見かけによらず気の強い女だな……。いっぱしの魔女みたいに生意気な口をきくじゃないか。だがお前は致命的な勘違いをしてる。あの石にかかっている魔法のことを知らないのだろう。ペンダントがお前さんの首に掛かっている間は手を出せないが、お前の体を離れているとなると話は別だ。俺にはお前を殺すことだってできるし、その気になれば、石を見つけ出すことくらい簡単なのさ」
アイリーンは息をのんだ。恐ろしさで、声が出なかった。
「しかしもう一つだけ、教えてやろう。なぜ石が必要なのか?」
ギメリックはあざけるような笑いを浮かべた。
「俺なら、あの石から、世界を滅ぼすほどの力を引き出すことができる。その力で、ティレル……奴を殺すためさ!」
「……!!」
トパーズの瞳が一層光を増したように見え、次の瞬間、アイリーンの目の前に巨大な、真っ黒な獣が牙を剥いていた。

▲ページTOPへ

<< 前へ 目次 次へ >>
inserted by FC2 system