薄明宮の奪還 更新日:2004.12.12

第1部 アドニア
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 第2章 /不安
4.侵略の影

 “アイリーン、……すまない……もう手遅れなんだ”
 ……ティレル? どこ……? どこにいるの?
 “ぼくを探してはいけない、アイリーン、君まで危険にさらされることになる……”
 会いたいの、ティレル! お願い、会いに来て……
 
 何か気がかりな夢から覚めて、アイリーンは目を開けた。
見慣れた自分の部屋の中だった。
「良かった、気が付いたね」声がして、レスターがのぞき込んだ。
「きゃっ!」
「……それはないだろう」レスターは傷ついた顔をして見せた。
「さすがにレディの寝室に勝手に入るわけにいかないから、いちおう遠慮したんだよ」
アイリーンが寝かされていたのは居間のソファだった。
「……わたし……」アイリーンは上体を起こした。
「倒れたこと覚えてる? 事を荒立てると面倒だから、ぼくが君を連れ帰ってきて、密かにここへ医者を呼んだんだ。軽い貧血を起こしただけで、心配はないそうだけど……もっと食べないとダメだと言ってた。そう言えば君、宴でもほとんど食べてなかったね。ここ何日も、まともに食べてないんじゃないの?」
「……」
「そう思ってほら!」見ると、テーブルに食べ物が所狭しと並べられている。
「宴の席からくすねてきたんだ。どんどん食べて、ほらほらっ」
「あのぅ……私、そんなに食欲が……」
「アイリーン、」レスターは彼女の上にのしかかるようにして触れ合わんばかりに顔を近づけた。白っぽい金髪がさらさらと顔にかかる。
「おおお、お兄様っ?」ブルーグリーンの瞳に至近距離から見つめられ、アイリーンはパニック状態になって硬直した。その頬に手を添えてますます顔を近づけ、真顔で、レスターは言った。
「言うこと聞かないと、口移しで食べさせるよ?」
「たっ、食べますっ、自分でっ!」アイリーンはあわててレスターを押しのけ、テーブルにあった果物を手に取った。邪魔にならないよう身を引いたレスターだったが、イチゴをかじっている可愛らしい口もとを眺め、
“ちょっと残念だったかも……”という不埒な考えを頭に浮かばせた。
しかし、こうしたことに免疫のないアイリーンが極度の動揺のため半分涙目になって、一生懸命口を動かしているのを見ると、“少しやりすぎたかな”という気もしてきた。
そこで努めて優しく声をかけた。
「ああ、ゆっくりでいいから。少しずつね」
アイリーンはチラリと上目遣いにレスターの顔を見て、ホッとした表情を浮かべた。
「……こんなには、とても無理です……」
「食べられるだけでいいから」
アイリーンは一つうなずいて、もう少しだけ果物を食べた。
「もういいの?」尋ねるレスターに、恐る恐るといった様子でアイリーンがうなずく。
レスターは苦笑した。
「ごめんよ、悪かった。そんなに怖がらないで。わかるだろう? 君の体を心配してるんだよ」
アイリーンは少々疑わしそうではあったが、うなずいて言った。
「ありがとう……本当に色々と……。でも明日からはもう私、一人で大丈夫ですから……」
「何だって?……はーん、エディスに何か言われたね?」
「そうじゃないけど、そのぅ、もう充分良くしていただいたわ……」

 レスターは真面目な顔でアイリーンを眺め、やがて言った。
「……だから強情だと言うんだよ、君は……。随分無理をしてるね。こんなに毎晩、しかも夜明けまでずっと宴にでているなんて、体が参ってしまって当然だよ。……いったいどうしたの?」
 そう言うレスターも明け方まで彼女につきあっているのだが、慣れているのか、それとも昼間十分休んでいるのか、白皙の美貌には陰りもなく、疲れた様子など微塵も見当たらない。
「……」
レスターは黙ってしまったアイリーンの隣に腰掛け、諭すように言った。
「……あのねぇ、こんなバカなことしても、縁談の話はなくならないよ?」
「え?」アイリーンはびっくりしてレスターの顔を見た。
「縁談、って、私のですか?」
「……ええっ?……ぼくはてっきり……」
レスターはしまったという顔をしたが、後の祭りだった。
「……参ったな……なんて間抜けなんだ、ぼくは」
額に手をやって頭を支え、がっくりうなだれる。
「……お兄様?」
レスターはそのままの姿勢で流れ落ちる髪の隙間から横目でアイリーンを見て、
「……それじゃ、どうして急に宴に出るようになったか教えてくれるかい?」と言うとさっと体を起こし、アイリーンの肩に手を置いて彼女の顔をのぞき込んだ。
「情報交換だよ、ね?」
「……」アイリーンは目をそらし、またも黙り込んだ。
「……ああもうっ! すぐそうやって黙る!」
レスターはじれったそうにアイリーンの手をたたいた。
「ぼくが君の味方だって、もうそろそろ認めてくれてもいいだろう? 何があったの?……話してくれないかな?」
 アイリーンは一瞬、ためらった。けれど、やはり口を開こうとしなかった。話したところで、どうなるものでもない。むしろエンドルーアとは関係のないこの兄まで、巻き込んでしまうことになるのではないかと、それが心配だった。あの男がどれほど危険な存在か、彼女は本能的に感じていたのだ。
「あの……ありがとう、お兄様。でも私……その……」
「……」レスターはため息を吐きつつ、ソファの背もたれに撤退した。
「……わかったよ。話す気は、ないってことだ」珍しく不機嫌そうに言う。
「ごめんなさい……」アイリーンは申し訳なさそうに身を縮めた。
フーッと、またもや大きなため息をついたレスターは、耳に被さった金の髪をかきあげ、天を仰いだ。耳飾りの緑の宝石が揺れている。
「……仕方ない。ではぼくは、情報提供に徹することにしよう」
「お兄様……」
「いいかい? 今から話すことは王とその側近の重臣たちの一部しか知らない機密事項だ。他言は無用、わかったね?」
アイリーンはおずおずとうなずいた。自分の縁談話が、どうしてそれほどの機密なのだろうと思いながら。
「よし。……君が初めて自分の意志で出てきたこの前のあの宴ね、リムウルからの親善使節を迎えてのものだっただろう? ま、親善使節は毎年やりとりしている間柄だが、今回リムウルは、第二王子の妃として君を迎えたいと言ってきたんだ」
「……」 先日の宴の夜、客人たちが自分をこっそり盗み見ていたのには気づいていた。けれど、それは単に、滅多に姿を見せない変わり者を珍しがってのことだと、アイリーンは思っていた。

「……考えようによっては、悪い話じゃないよ。君に対して冷たく当たる勢力がないぶん、この国に居続けるより君にとっては幸せかも知れない。でも問題なのはその理由だよ」
「理由……?」レスターは厳しい目をしてうなずいた。
「君の母上はエンドルーアの王族の出だ。リムウルとエンドルーアの対立が緊迫してきて、リムウルは我が国との協定を再確認して来た。その証に、君を自国に迎えさせてほしいと言うことなんだ。我が国の手前、君をどうこうするつもりはないはずだけど、実質的には、人質だ。エンドルーアに対して少しでも優位に立ちたいんだ」
「……」
 まさか自分の縁談の話にエンドルーアがからんでくるとは思ってもみなかった。
これは偶然なのだろうか、それとも……?
 とにかく、自分の身の回りで何かが動き出している。アイリーンは迫ってくる大きな運命のようなものを感じ、不安で胸が締め付けられるような気がした。

 レスターは力づけるように、彼女の手に自分の手を重ねた。
見た目は白く優美で、アイリーンの手と同じくらい華奢な印象を与える彼の手だが、触れてみると意外なほど硬く、しかも彼女の手をすっぽりと覆うほど大きかった。
「もちろん父上は反対している。けど、王が一人で国を動かしているわけじゃないからね……どうなるかわからない。リムウルとは長い付き合いだし、地理的に言って、万が一リムウルが落ちるようなことがあれば、エンドルーアの野心が我が国に向くことは必定だ。協力しないわけにはいかないだろう」
「でも、お兄様。エンドルーアとリムウル、それに我がアドニアは、長い間友好的な国交をしてきたと、賢者様に習ったわ。それがどうして……?」
「うわさでは、エンドルーアの王は気が狂ってしまったとか。でも、詳しいことはわからない。10年ほど前に突然、ほとんど鎖国状態になってから、エンドルーアについては何も情報が入ってこなかったらしい。ここ数年になって、近隣諸国を侵略しはじめたんだ。あの国はさほど大きくもないし、特に肥沃な土地にあるというわけでもないけれど……長い歴史に裏打ちされた富と、行き届いた統治による国力がある。それに……」
 レスターはふっと口をつぐみ、まるでそこに答えを探すかのように、アイリーンの顔を見つめた。
「……他の国にはない、強力な武器を持っているという話だ。新興のカストライネや、小国ソルディオスは急襲を受けて、ひとたまりもなく滅びてしまったそうだよ」
「……ちっとも知らなかった……」
「君は不思議に思ったことないの? 自分の母上が、歴史ある立派な国の王族だというのに、地方の田舎貴族出身のぼくの母より待遇が悪いのはなぜか、って?」
「……」
「生前、父上の寵愛を一身に受けた君の母上に対する第一王妃のやっかみもあるよ、もちろん。でも真の原因は、エンドルーアとの国交が途絶えてしまったことにあるんだ。父上としても、どうしようもなかったろうね」
「何も、知らないんです私……誰も教えてくれなかったし、私も、知ろうとも思わなかったから……でも今は知りたい。エンドルーアには……私と血のつながりのある人たちがいるんですね?」
レスターはうなずいた。
「現エンドルーア王の王族は皆、君と縁続きと言うことになるね」
「どんな人たちがいるのか……お兄様は知ってる?」
「詳しくは知らないけど。10年前の記録でわかる範囲でなら。……君の母上には兄が二人いた。長兄は現エンドルーア王エムリスト。エムリスト・オー・ランディア・ジ・エンドルーア。次兄はレティス卿……クレイヴ・オー・ドルシィ・レティス。そして王の第一王子、皇太子ギメリック。……今、侵略軍を実際に指揮しているのはこの男だとか。まだ若い、確かぼくと同じか一つ下くらいのはずだが……冷酷で残忍、刃向かう村や都市を情け容赦なく蹂躙するというんで、黒髪の悪魔と呼ばれ恐れられているそうだ。10年もの沈黙を破ってエンドルーアが侵略を始めたのは、この男の意志だという者もいるが……もちろん本当のところは我々には知りようもない」
……黒髪の王子。ではあの男は……エンドルーアの皇太子、ギメリック?
それにしては、侵略軍を指揮しているはずの男がこんな遠い場所に一人でやって来ているとはおかしな話だ。やはり、別人だろうか……? それとも……その侵略の目的のために、この石が必要なのだとしたら……?

「エンドルーア王に、もっと子供がいてもおかしくないが、何しろこの10年の情報が欠けている……エンドルーアについて今わかるのは、これぐらいかな。……他に、知りたいことは?」
アイリーンは首を振った。あまりにもたくさんのことが一度に押し寄せてきた気分だった。一人になって、今聞いたことをゆっくり考えてみたかった。
「……おかしな子だね。リムウルの第二王子がどんな奴か、聞かないの?」
「あ……」我ながら間が抜けている、とアイリーンも思ったが、どういうわけかちっとも知りたいという気分になれなかった。
「何だか、実感がわかなくて……」
「ふぅん……それじゃリムウルのことはまた今度ということにして、と。……で、ティレルって誰?」
「!!」いきなりティレルの名が出てきて、アイリーンは心臓がひっくり返るかと思うほど驚いた。
「えっ、なっ、ど、どうして……?」
「さっき寝言で呼んでたんだよ。君にそんな知り合いいたかなぁ?」
「し、し、知りません、私……ただ夢を見ていたと……」
レスターは可笑しそうに、クスクス笑った。
「……君は本当にウソをつくのが下手だね。……さぁて、どうしようかなぁ?」
その笑顔は何か悪だくみを考えているときの顔、とアイリーンは身構えた。
案の定、レスターはいきなりアイリーンを抱き上げて立ち上がった。
「きゃっ!!……ななな何っ、何するんですかっお兄様っ!!」
「はいはい、騒がない騒がない」
レスターはそのまま、アイリーンを寝室に連れて行った。
「君は軽いねぇ。やっぱり、もう少し食べた方がいいよ」
「お兄様っ、降ろしてっ!」
じたばたしようにも、見かけより力のあるレスターにしっかり抱きかかえられると手も足も出ない。とうとうベッドの上まで運ばれてしまった。

 寝室には灯りが一つもなかった。
しかし窓から、薄青い月の光が煌々と差し込んで意外なほど明るかった。
「ぼくの情報料は高いよ。さて、何で支払ってもらおうかな?」
笑って、レスターが顔を寄せる。
「……っ!」
思わず閉じた両のまぶたの上に、彼の唇が軽く触れていった。
「はい、よく眠れるおまじない。今日はもうおやすみ」
そう言うと、レスターはアイリーンの頭にポンと手を置いてくしゃくしゃとかき回し、それから窓に近寄って空を見上げた。
「……夜明けまでには、まだずいぶん間がある。それじゃ、また明日ね」
戸口に向かうレスターに、アイリーンはあわてて言った。
「あっ、あのっ、明日は……」
「ん? 何?」
「その、……もう少し、体を休めた方がいいと思うので、明日は宴には行かないで部屋にいます……」
「ふぅん? うん、まぁ、それがいいだろうね」
不審に思っているのだろうが、聞いても無駄だとわかっているのだろう、レスターはもう何も言わなかった。
「じゃ、おやすみ」出て行こうとするレスターに、アイリーンは呼びかけた。
「お兄様!」レスターが振り向く。
「あの、ありがとう、本当に……」
鮮やかな花がほころぶように、レスターは微笑んだ。
「忘れないで、ぼくは君の味方だよ。困ったことがあったら、いつでも言っておいで」
「……お兄様……」
「今までのつぐないさ。ぼくは君に、とても大きな借りがある。ちょっとやそっとじゃ、返し切れないほどのね……どうやら君は覚えていないらしいけど。だから気兼ねしなくていいんだよ」

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