薄明宮の奪還 更新日:2004.10.30

第1部 アドニア
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 第2章 /不安
1. 王家の血

「本当に、どうしてしまったの? 君は」
涼しげな瞳を面白そうに輝かせ、優雅な仕草でちょっと小首をかしげてみせながら、レスターは飲み物のグラスを差し出した。軽くウェーブのかかった白っぽい金髪が、さらりと肩に流れる。今日も緑と金と白を基調にした華やかな出で立ちで、それが本当によく似合っていた。

「……ありがとう」
受け取ったアイリーンは、わざとその質問を無視してグラスを口に運んだ。
 レスターでなくとも、この宴に出席した皆がそう思っているにちがいない。昨日に引き続き今日もまた、自分が宴の席にいるなんて。アイリーンはそんなことは百も承知だったが、もちろん、その理由を、誰に話すわけにもいかなかった。

 平和で豊かなアドニアでは、ちょっとした晩餐会や舞踏会、音楽会、誰かの誕生祝いやその他の祝い事、お披露目などとといった名目で、夜ごと、貴族の屋敷のどこかしらで宴が催されている。その気になれば、毎晩でも宴に出られるのだった。
 もちろん前もって送られてくる招待状が必要だが、王家の姫君・若君となると飛び入りでも断られるわけがない。そんな知恵をつけてくれたのも、今日はここ、ローゼンタール伯爵家で舞踏会があると教えてくれたのも、ここに出席するためにエスコート役を買ってくれたのもレスターだった。
 
 踊りが一段落し、人々は広間で音楽に興じたり、軽い食事をとったりして一休みしている。趣を凝らした明かりが無数に灯された美しい庭園を、ゆっくりと散策するカップルたちや、庭園のあちらこちらに設けられたベンチや東屋にくつろいで、話に花を咲かせる若者たちもいた。
 レスターとアイリーンがいるのは、そんな庭園の隅のベンチの一つだった。

「びっくりしたよ。君が、相談したいことがあると侍女をよこした時には。宴に出るにはどうすればいいか教えて欲しい、とは……あんなに宴嫌いだったくせに、どういう心境の変化だい?」
 聞かれても、アイリーンには答えようがない。昨夜のことは、誰にも話す気にはなれなかった。たとえ話したところで、信じてはもらえないだろう。

「……いえ別に……何も……」
「……」
真顔になるとなまじ顔立ちが整っている分、怜悧な印象になるレスターが、鋭い、探るような視線を向けてくる。内心、身が縮むような思いだったが、アイリーンは努めて落ち着いている振りをした。けれど、明らかに不審に思っている様子の兄に、何をどう言って切り抜ければいいかもわからない。
 しかしアイリーンにとってありがたいことに、レスターはそれ以上詮索しようとはせず、急に態度を切り替えていつもの軽い調子で口を開いた。
「……まあ、夜遊びに目覚めてくれたのなら、ぼくとしては嬉しい限りだけどね。ふふ……」
レスターは、女性なら誰もがうっとりしてしまいそうな極上の微笑みをアイリーンに向けた。
「何なら、もっと他の楽しみも、教えてあげようか?」
間合いをつめて肩に手を回そうとする彼をあわててかわし、アイリーンは立ち上がった。
「あの……、もしお嫌でなければ、竪琴を弾いてくださらない? お兄様」
レスターはわざとらしくため息をついた。
「せっかくこうして二人きりになれたのに、竪琴なんか弾いたら、皆が集まってきてしまうよ。それでもいいの?」
“二人きり…って……何なの? いったいどうしたのかしら……私をあんなに嫌っていたくせに……”
またしても何と返事をして良いやらわからず、黙りこんでしまったアイリーンに苦笑いを浮かべ、レスターは竪琴を手に取った。
「……まぁいいよ。君がそう言うなら。リクエストはあるかい?」
「……できれば、昨日弾いてらしたあの曲を……。何だか、聞き覚えがあるんです」
「だから言ったろう? 『一曲目は君に捧げる』って。あれは君の母上がよく歌っていた曲だよ」
「私の……母様が?」
「覚えてないのかい? そうだね……君はまだ、3つになるかならないかだった。無理もない」
母のことは、ほとんど何も覚えていなかった。
しかし4つ年上のこの兄なら、そうだ、母の顔も覚えているに違いない。

 アイリーンの目に、不意に、熱いものがこみあげてきた。
不安だった。どうしていいのかわからない。ずっと寂しい思いをしてきたが、今ほど、母が生きていてくれたらと強く願ったことはなかった。

 けれど月を振り仰ぐふりをして、彼女は涙を押し戻した。実の父にさえ甘えることのできない境遇が、彼女の心を強くし、人前で涙を見せることを許さないのだった。
 彼女が泣けるのはティレルの前だけだった。ティレルに会いたかった。会って、今こそ、色々なことを聞きたかった。しかし次の満月の夜まで、あと5日。それまで、彼女はたった一人であの男と対峙しなければならないのだ。

 こうしている今も、あの男は、どこかで隙を伺っている。石を奪うために。
そう思うと、庭園の木立の暗がりが、気になって仕方なかった。今まで大嫌いだった人混みが、今は一番安心できる。レスターにどう思われようと、人々が何とうわさしようと、とにかく満月の夜まで、出来る限り一人にならないようにするしかない……。
 アイリーンは自分を励ますように、強く手と手を握りしめた。

 そんなアイリーンの様子を知ってか知らずか、レスターは黙って竪琴をつま弾いて調律をしていた。そして、曲を弾き出した。
 竪琴を弾いている時の彼は、普段の彼とは別人だった。長いまつげを伏せ、真摯に竪琴を弾くさまは、遠く深い思索の底に沈んでいるように見える。談笑していた辺りの人々も、美しい音色に引き込まれ、知らずしらずのうちに耳をそばだてて聞き入っていた。

 静かで、透明な旋律が、穏やかな波のように広がっていく。辺りの空気がしんと深まり、澄んだ水の底にいるように感じられた。
 やがて曲はゆっくりと盛り上がりを見せ、主旋律を繰り返す。歌詞をつけずに弾くだけならそれほど長い曲ではなかった。

 また曲の最初に戻って弾き続けながら、レスターが言った。
「君の母上は遠いエンドルーアから嫁いできて、やっぱり、寂しかったんだろうね。幼かったぼくですらこうして覚え込んでしまうほど、よくこの曲を歌っていた。この曲にはエンドルーアの起源と、それにかかわる女神フレイヤの伝説を歌った長い長い歌詞がついていたはずだけど、悪いね、ぼくは覚えていないんだ」
 とすると、やはり、あの歌声はあの男のものだったのだ。
そう思ったアイリーンはそこで、ハタと思い当たった。
そうだわ……どうして気がつかなかったんだろう。あの石は母の形見、とすれば石がエンドルーアから来たものであることは間違いない。そして、私はエンドルーア王家の血を引いている。あの男が、“呪われた王家の血”と言ったのは、アドニアではなくエンドルーア王家のことなんだわ。
“同類”、と言った言葉もそれで説明がつく。石を奪いに来たあの男もエンドルーア王家につながりのある人間。ではティレルも……?

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