薄明宮の奪還 更新日:2004.10.15

第1部 アドニア
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 第1章 /宴の夜
4.月下の邂逅

  部屋に帰っても、アイリーンの激しい胸の動悸はおさまらなかった。
一生懸命考えをまとめようとするのだが、何をどう考えたらいいのかわからない。

 母が亡くなった時、アイリーンはまだ幼かった。石について、何も聞かされてはいない。と言うより、母から手渡された記憶さえ、はっきり思い出せなかった。
 けれど、その外観から紫水晶だと思い込んではいたものの、それがただの石ではないことに、アイリーンは早くから気づいていた。それどころか、心を通わせる相手一人いない城の中で、この石は長い間、彼女の心のよりどころだったのだ。
母の形見であるということ。最初はただそれだけの理由で。
そして、ティレルに初めて会った日からは、二重の意味で……。

 それは、彼女がまだ9つか10だった頃。ある満月の夜だった。
真夜中に目を覚ましたアイリーンは、庭にさまよい出た。月明かりに照らされた庭はひっそりと静まりかえり、高い木立は寂しげに、青く細長い影を落としていた。
 彼女が寂しいと感じたのも無理はない。城の侍女たちの中で唯一、彼女を心から可愛がって世話してくれた乳母が、数ヶ月前に勤めを辞めて城を出たのだ。

「どうしたの?」
突然、声をかけられて、アイリーンはびっくりして顔を上げた。
「また、泣いてるんだね」
そう言って、茂みの向こうから現れたのは、アイリーンと同じ年格好の少年だった。
アイリーンは目を丸くして、少年の銀の髪を見つめた。
「………あなた、誰? どこから来たの?」
「……ずうっと遠い所から」
少年は、アイリーンの首にかかったペンダントの、紫の石を指差した。
「それ。どうやら、その石に引かれて、ここに来てしまうみたいなんだ」
 アイリーンはそっと手を伸ばして、少年の髪に触れてみようとした。月光を浴びて輝くその銀の髪は、あまりに美しく、まるでこの世のものとは思えなかったのだ。
すると少年は首を振った。
「だめだよ。今ぼくには実体がないから、君には触れられない」
 アイリーンの指は彼の体をすり抜けてしまった。
驚くアイリーンを見て、彼は笑った。少年らしい、楽しげな、小気味良い笑い声。それはアイリーンの胸の中一杯に響き渡り、からっぽだったその空洞に、光と、幸福な思いを満たしてくれた。
“なんて気持ちよさそうに笑う子だろう。なんだか、私まで楽しくなるみたい”
アイリーンが涙をふいて微笑んだのを見て、少年はにっこりした。
「良かった。やっと笑ったね。ぼくはずっと前から、満月になる度にここに来ていたんだよ。知らなかっただろう? 君は眠っているか、起きててもそのペンダントを身に着けていなかったからね。ぼくの姿が見えなかったのさ。いつになったら、君と話が出来るんだろうと思ってたんだ」
少年は嬉しそうに、アイリーンを見つめて微笑んだ。
 後から考えてみると、薄暗い月の光の中で瞳の色などわかるはずがないのだけれど、なぜかその時、アイリーンにははっきりと見て取ることができたのだ。
のぞき込んだ彼の瞳は、その夜の月光よりもまだ青い、深く澄んだ湖の色だった。

 彼はティレルという名前以外、自分のことを話そうとしなかった。しかしアイリーンは、知りたいとも思わなかった。幽霊だろうと、妖魔だろうと、そんなことはどうでも良かった。ただ彼の優しい瞳に見つめられ、彼が自分の話を聞いてくれたら、それで幸せだったのだ。二人の間の静かな絆を、乱す者が現れなかった今までは……。

“あの男は何者なの?……他の人には姿が見えない……ティレルと同じ?
 ……いえ、違うわ。ティレルには実体がないけど、あの男は……”
痛いほどつかまれた腕には、痣のように跡がついていた。あの男が実体を伴っているという確かな証拠だ。とすれば、男は、何か不思議な力を使って自分の姿を隠していたのだろう。

“石に込められた太古の力……あの男はそう言ったわ”
アイリーンは、手の中の紫の石を見つめ、考えた。
“ティレル……、あなたも、その力に引き寄せられて私のところに……。ああ、あなたは誰なの? この石が元はあの男のものだったって、本当なの? ……呪われた王家の血、って……どういうこと?”

 考えてみたところで、わかるはずもない疑問ばかりだった。でも一つだけ、わかっていることがある。それは、あの男が、きっとまたやって来るだろうということ。自分を見つめていた、恐ろしい獣のようなトパーズ色の瞳を思い出して、アイリーンは身震いした。
“どうしたらいいの? ティレル……!! 石を奪われたら、あなたに会えなくなってしまうわ……!!”

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