薄明宮の奪還 更新日:2004.10.15

第1部 アドニア
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 第1章 /宴の夜
2.孤独

 大広間は人でいっぱいだった。
着飾った貴婦人や諸公が飲み物のグラスを手に、思い思いに集まって雑談に興じている。開け放たれた大扉の向こうに垣間見えるその光景に、アイリーンは思わず立ち止まった。どうしようかと迷っていると、突然誰かが後ろから、アイリーンの腕をぐいとつかんだ。アイリーンは驚いて飛び上がった。
「これはこれは!!」異母兄の、レスターだった。

 すらりとした長身にまるで宮廷楽師のような衣装をまとった彼は、いつもながら素晴らしく華やかに見えた。優美で、整った顔立ち。雪白の肌に白っぽい金髪、そしてちょっと珍しい色合いの、鮮やかなブルーグリーンの瞳。その瞳が、まるで面白いおもちゃを見つけたとでもいうように、楽しげな光を浮かべている。
「親愛なる我が妹姫ではないか。せっかく来たんだ、こんな所につっ立ってないで、中に入ればいいだろう」
 有無を言わさず彼女の肩を抱き、入り口へ向かって歩き出す。
「第二王子レスター様、第三王女アイリーン様、ご来場!」
貴人の到着を告げる小姓の声に、人々はさっと振り向いた。驚きと好奇の目が一斉に集まってくる。レスターは気にもとめず、親しげに顔を寄せてささやいた。
「どうした風の吹きまわしだい? 自分の誕生祝いの席にさえ、仮病を使って出てこなかった君が?」
「仮病だなんて……」
図星を差され、アイリーンは顔を赤らめた。子供の頃から特に苦手だったこの兄に、よりによって一番最初に出会ってしまうとは……。

「まあいいさ、おかげで連中の間の抜けた顔がたっぷり拝める」
レスターはクスッと笑った。
「ごらんよ、いくら目を見開いても、節穴には変わりないのにね」
レスターはその容姿と少し辛口の話術、そして楽器を操る才能のおかげで、こういう席では注目の的だ。その彼が、めったに姿を見せないアイリーンを連れて歩いているのだから、人々がじろじろ見るのも無理からぬことだった。

 しかしそれは、見るに値する、目の保養になるような眺めであった。
レスターだけではない。この場の多くの者は、アイリーンが小さくおとなしい、目立たない子供であった頃しか知らなかった。しかし先月16歳になった彼女は、その美しさ国内に並ぶものなしと歌われた彼女の母の面影を映し、やがて花開くであろう匂い立つような美貌の兆しを漂わせていた。

 柔らかなウェーブを描いて腰まで流れ落ちる、日の光を紡いだような金の髪。長いまつげに縁取られた、光の加減で青にも紫にも見える大きな瞳。瑞々しい果実のような、小さな紅いくちびる。可愛らしい耳たぶやまだ幼さの名残を残す頬に、ほんのり散った桜色の血色が、透き通るような肌の白さを際立たせている。

 人々は驚きと感嘆の声を口々に洩らし、ひそひそささやきあった。けれどアイリーンは、自分がそのように見られていることなど知る由もない。人の注目を集めることは苦痛でしかなかった。彼女は早くも後悔し、できることなら回れ右して、自分の部屋に逃げて帰りたくなっていた。

 しかしもう遅すぎた。 人々が下がって道を開けたので、アドニア王とその二人の妃、そして異母兄弟のうちの二人の姿が見えた。王は嬉しそうにニコニコし、二人を迎えようと待っていた。
「アイリーン、よく来たね。珍しいこともあるものだ」
「全くですね、父上。天変地異の前触れかも知れませんよ」笑いながらレスターが言う。
「遅かったじゃないの、レスター」第二王女のエディスが、早く離れろと言わんばかりにアイリーンを睨んだ。第一王妃ヴィクトリアとその息子、第一王子カイウスは、アイリーンには一瞥もくれようとしない。
「レスター、またそんな恰好をして。お客様も見えると言っておいたのに……」
レスターの母、第二王妃イリアナが美しい眉をひそめてたしなめた。

 他国からの客人を招いた宴の席では、王家の男子は略式の礼装をするのがこの国のしきたりである。それに比べて、ゆったりとドレープをとった裾長の白の胴着に、金の縁飾りを施した緑の長マント姿のレスターは、いかにもどこかの吟遊詩人か楽師といった風情だった。
 彼は悪びれた様子もなく、にっこり笑って言った。
「似合いませんか?」
「レスター!!」
第一王妃とはかなり身分に差があるため、何事も控えめで物静かな彼女が声を荒らげるのは、昔から、このように一人息子の奔放な性格に手を焼く時と決まっていた。温厚なアドニア王が声をかける。
「まあ、よいではないか、宴の席だ。さあ二人とも、お客人にご挨拶しなさい」

 食事が終ると、人々は音楽やダンスを楽しむために次の広間へと移って行った。
アイリーンは早々に自分の部屋に帰るつもりだった。ところが、
「逃げようったって、そうはいかない」
レスターが、再びアイリーンの腕をつかんで彼女を驚かせた。
「めったにない機会だ。今夜はぜひダンスの相手をしてもらわなくてはね」
「お兄様、悪ふざけはよして」
「ふざけてなどいないさ。さあ!!」
アイリーンは広間の中央で踊っている人々の真ん中に連れ出されてしまった。
しかたなく、レスターの巧みなリードに合わせて、踊り出す。
“……どうして、放っておいてくれないのかしら……ダンスの相手になら、不自由しないでしょうに”
広間のあちこちから、熱い視線が二人を見つめているのを感じる。
その視線に胸を焼かれて、息が詰まりそうだった。

「そんなに下ばかり向いてちゃ、いつまでたっても上手くならないよ。こっちをお向き、ほら」
レスターはアイリーンのあごをつまんで仰向かせた。アイリーンは頬を染め、顔をそむけた。ただ恥ずかしいのか、腹立たしいのか、自分でもよくわからない。レスターは笑って言った。
「いかにも迷惑そうだね。ぼくはあまのじゃくだから、そんな顔されるともっと苛めたくなるな」
「………!!」
いきなり頬にキスされて、アイリーンは真っ赤になって身を引いた。
レスターは彼女の腕をつかんで引き戻す。
「放して、お兄様……!!」
「いやだね。まだ曲は終わってないよ」
必死になって逃げようとするアイリーンを、レスターはクスクス笑いながら抱き締めた。

「レスター! 何してるのよ?!」
怒ったようなエディスの声がし、レスターはゆっくりと視線を移してそちらを見た。
「めったに顔を見せない妹と、親睦を深めている最中だ。邪魔しないでほしいな」
「やめなさいよ、みっともない。そんなことより、竪琴を弾いてくれるって言ったでしょう? みんな待ってるのよ」
 女性達の華やかなドレスが集まって、まるで色とりどりの花が咲いたように見える辺りに、レスターはチラリと目をやった。彼女たちは、互いにおしゃべりをするふりをしながらこちらをうかがっている。
「ふふん。一つ年下の妹とはいえ、天下の第一王妃様の生んだ王女様には、ぼくも逆らえない。正に適役というわけだ」
「何よ! 皮肉ばっかり言って……!!」
「怒るなよ。じゃあ、アイリーン。続きはまた今度ね」
ようやくレスターの腕から解放され、アイリーンは後も見ずに駆け去った。
その後ろ姿に、レスターが笑いを含んだ声で呼びかける。
「一曲目は君にささげるよ。聴いていってくれないのかい?」

 いつもそうだった。レスターには目の敵のようにいじめられ、エディスには露骨に嫌な顔をされる。ヴィクトリアとカイウス親子は、冷たい、見下すような目で見るばかりで、口もきいてくれない。イリアナとローゼリアは丁寧に接してくれたが、単なる儀礼的なもので、アイリーンにはほとんど関心がないようだった。
 もちろん父は優しかった。けれど、国務で常に忙しい。物心ついた時には、すでに母は亡く、アイリーンはいつも不安だった。自分の足が地についていないような、不安定な思い。アイリーンには、生まれ育ったこの城の中にさえ、自分がしっかりと立っていられる場所が見つからないのだった。
“こうなるとわかっていたのに……”
アイリーンは苦い後悔の味を噛みしめた。
“ああ、満月まで……あと何日?……ティレル、あなたに会いたいわ……”

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